姥が懐と英彦山お潮井採り

英彦山

 修験の⼭、英彦⼭は1200m級の北岳・中岳・南岳が連なる⽇本三⼤修験道場(⼤峰⼭・出⽻三⼭)の⼀つで九州⼀の霊⼭です。⼆百万年前に形成された溶岩台地は侵⾷されて奇怪な地形や窟を形成し、今川、秡川、⼭国川、遠賀川、筑後川などの⽔分の⼭として、⾥⼈たちの信仰を集めていました。杉の巨⽊が聳え⽴つこの⼭には天狗や⻤の伝説が残り、「英彦⼭三千⼋百坊」とうたわれたほど、多くの⼭伏が神と仏を祀り修⾏に励んでいました。

⼭、川、海をつなぐ英彦⼭の御潮井採りとは

 毎年2⽉末⽇(旧暦の正⽉26⽇)と翌3⽉朔⽇は英彦⼭御潮井採り神事の⽇です。この神事は、英彦⼭最⼤の祭礼「勅宣度松会祈念祭ちょくせどまつえきねんさい」を迎えるために、⼭伏が今川、秡川流域の九⾥⼋丁(39キロ)の道を下り、⾏橋市沓尾海岸姥が懐で禊祓をして、お潮井(潮⽔)を⽵筒に汲み、英彦⼭へ持ち帰って⼭内を清める神事が平安時代から千年以上も厳粛に続けられています。道中の村々では、英彦⼭の⼭伏を「やんぶしさん」と呼び、春を告げる「潮井祭り」として酒迎えの接待座でもてなし、「⾙伏せ」をしてもらって無病息災を祈願します。また蛤を「潮井⽟」として求めて帰⼭し、清めに⽤いるそうです。みくまり江⼾時代、九州⼀円に42万⼈もの信徒を持ち、北部九州の⽔分は、7万⼈もの⾥⼈が五穀豊穣祈願に⼭を訪れていました。しかし、明治時代の神仏分離とともに、「英彦⼭松会」神事は御⽥祭(3⽉15⽇)と神幸祭(4⽉第2⼟⽇)に分けて⾏われています。近年、接待座を⾏う村々も潮井採り神事を知る⼈も少なくなっていますが、潮井採りの最後に⾏う「潮汲み」は、何⼈も⾒てはならない秘儀とされ、「⾒た者は⽬がつぶれる」と伝えられています。

© Izumi Haraga

⼭伏が好きな⼭と海の姥が懐の景観

 英彦⼭を取り巻く姥が懐は、英彦⼭障⼦ケ岳の深倉峡にもあります。この峡⾕には、窟のある⼥岩と渓流を挟んで男岩があり、2つの岩の間には注連縄が張られ、⾃然界の⾒事な陰陽の景観を際⽴たせていましたが、2017年の北部九州豪⾬の⽔害は甚⼤であり注連縄は張られていません。また、沓尾海岸の姥が懐にも、周防変成岩緑泥⽚岩の窟があります。海の洞窟は、古くから万物が⽣まれる聖なる場所と考えられ、この窟で豊⽟姫が⼭幸彦の⼦ウガヤフキアエズを産み、窟から滴る乳で育てたという伝説も残っており、沓尾地区の⽒神様「⿓⽐賣神社」には⿓宮の姫である豊⽟姫が祀られています。ところが、2005年に漁港道路建設が始まり、姥が懐の景観は壊されそうになりました。しかし、本会の景観保全活動に協⼒して下さった九州⼤学島⾕研究室(当時)の応援もあって⼀部保全となり、現在は⾏橋別府100キロウオークやシーサイドマラソンのコースにもなるなど、⼭伏の愛した景観は現在に受け継がれています。

© Izumi Haraga

英彦山にある姥が懐

英彦⼭⼭伏と今井津や蓑島⽔軍のつながり

 英彦⼭⼭伏はなぜ、沓尾海岸の姥が懐を潮井採り神事の禊場に選んだのでしょうか。それは、古代の神話が残る聖なる浜であり、陰陽の景観を持つ場であったこと、今川、秡川が流れ込む今井津(今井、⾦屋、真菰、元永、沓尾)は、蓑島とともに、中世の港町として栄えていたことが要因であると考えられます。現在も今井浄喜寺に残る梵鐘は、応永28年(1421)に今井津の住⼈沙弥道本が⾦屋鋳物師に鋳造させ、英彦⼭霊仙寺に寄進されたもので、英彦⼭と今井津のつながりを知ることができますまた、室町時代の李⽒朝鮮で書かれた「海東諸国紀」によると、蓑島海賊⼤将⽟野井藤原朝⾂邦吉と英彦⼭座主が⼀緒に李⽒朝鮮と交易していたことも記され、菅原神社の境内には、⽟野井藤原朝⾂邦吉と英彦⼭座主の海洋貿易の碑が本会にも所属して下さった⻑⽼・泉潔⽒によって建⽴されています。

⽟野井藤原朝⾂邦吉と英彦⼭座主の海洋貿易の碑

姥が懐と英彦⼭お潮井採り神事から現代社会へのメッセージ

 2005年の姥が懐の景観保全運動以後、毎⽉の海岸清掃を⽋かさず⾏なっている本会ですが、2020年9⽉の⾼潮後、姥が懐の窟が砂に埋もれてしまう状況に驚き、英彦⼭神宮、今元校区、沓尾地区の区⻑、沓尾の漁業組合⻑に呼びかけ、(株)ホーサクさんのボランティアで砂かき⼤作戦を⾏いました。2020年11⽉14⽇、英彦⼭神宮の禰宜(⾼千穂有昭)さんに祝詞をあげてもらい、おびただしい砂を3台のユンボで掻いて、海の潮⽔をホースで注⽔して砂を洗出だす1⽇がかりの作業によって、今まで⾒ることができなかった⾼さ180センチあまりの姥が懐の窟の全容と美しい緑泥⽚岩の岩床を⾒ることができました。また翌⽇は千年以上続くお潮井採り神事の歴史始まって以来ではないかと思われる英彦⼭神宮の⽒⼦さんたちとの共同清掃も実施することができました。2024年には、沓尾地区区⻑さんが⾏橋市にお願いして、第2回砂かき⼤作戦を実施してもらいました。
 ⼤きく変化してきた姥が懐周辺の環境と押し寄せる海の⼒、砂の⼒には如何ともし難い状況ですが、科学的な視点による現状分析から解決策を探ることも必要であると感じています。2005年から姥が懐の景観を守る活動を続ける中で、私たちが学んだのは、⼭・川・海の⽔の循環を体現する⼭伏の姿であり、根底に流れる「⼭川草⽊悉皆成仏」の思想です。海の⽔から⽣まれた⽣命が進化して陸で暮らすようになって以来、私たちは⽔から⽣まれた⽣命体であったことを忘れているように感じます。⺟なる⼦宮は⼩さな海、その中から⽣まれ出た⼀個の命として、⼭・川・海のつながりを学びながら、英彦⼭⼭伏が選んだ沓尾海岸姥が懐から、持続可能な社会を未来に残す活動を発信していきたいと考えています。

(2025/3/30 代表 原賀いずみ)

参考文献

制作:豊の国海幸山幸ネット

「豊の国」景観ものがたり

「豊の国」景観ものがたり(前編)
「豊の国」景観ものがたり(後編)